【小説】ホスト歌舞伎町物語②「大阪から歌舞伎町へ移動する素晴らしき阿呆」

「ああ、金があったらな~」

井上竜光(たつみ)は助手席のシートで伸びをしながら、ひとり悔いていた。

「金があったら、こんなむさくるしいおっさん相手にヒッチハイクせんで良かったんや……」

「兄ちゃん、聞いてるか?」

「は、はい!」

「ほんでな。本番NGの店やねんけど、わし必死に『させてください。させてください!』って、おでこを床にこすりつけて頼み込んだんや。その甲斐あって、本番させてくれたんやけどな。終わってから、姉ちゃんが言いよるねん。ほんまは本番はNGなんやから、別料金をちゃんと払ってって。結局わし全部で5万円近く払ったがな。ケツの毛までむしりとられるっていうのは、このことやで」

唾を飛ばしながら大声でしゃべり続ける運転席のトラック運転手は、ぽっこりせり出した腹をぼりぼりと掻きむしる。自分も中年になったら、こんな品のないオヤジになるんだろうか。

「やっぱり新幹線にしたら良かったな~。ケチるんやなかったわ。ゲンくそ悪い」

男性には不機嫌が伝わらないよう注意しながら、またもや心の中でつぶやく。

「しかもな。本番できたんはええけど、締まりが悪いんやわ。五年ぶりにおなご抱いてゆるゆるのあそこってどないやねんな。神はおらんのか!」

まぐわった際の感情を思い出したのか、急に興奮しだす男に「そら災難でしたねえ」と口先だけで言いながら、金を払わないと女性を抱くこともできない男性を哀れんだ。自分も大差ないのだが、竜光はまだ彼に対してなら優越感を抱くことができた。男の隣にずっといると、モテない男性が放つ負のオーラが伝染してきそうで閉口する。早く別れたかった。

「そろそろですかね?」

「兄ちゃん、歌舞伎町に行きたいんやったな。ここが花道通りや」

「ここで結構です。長時間、ありがとうございました」

路肩に車を停車してもらい、下車した。

運転席の側面にある窓ガラスが空いて、男性が語りかけた。

「東京は大阪と違って世知辛いところあるけど、めげんなよ」

親指を立てて、にこっと笑った男性の歯は抜け落ちている箇所の方が多かった。

「おじさん、最後にひとつ聞いていいですか?」

「なんや、兄ちゃん?」

「今までの人生で、金払わんと抱いた女って何人ですか?」

男性は顔を皺くちゃにした直後、節くれだった指でVサイン作り突き出した。

二本の指をぱっと開くと、バイバイと手を振りトラックを発進させた。

トラックが走り去った方向へ、ぺこりと頭を下げて考える。

「ふたりっちゅうことか? それともたくさん抱いたから勝利のVサイン!?」

竜光は一瞬、混乱した。

「いや、あんな汚いおっさんが、そないにたくさん抱けるかいなっ!」

歯の抜けた出っ腹オヤジが金を使わずして女性を抱けるとは思わず、半生でふたりということで勝手に納得した。

早朝に歌舞伎町にひとり。何をすればいいかがわからない。ホストクラブというのは朝も営業しているのだろうか?

元相方に漫才コンビの解散を告げられた竜光は、大阪でセミナーを開いていた一ノ瀬翔との出会いがきっかけで上京を決意。大阪にとどまっていても、明るい未来はなさそうだった。

これまで誰かから承認された経験が皆無の竜光は、一ノ瀬翔に興味を持ってもらえただけで嬉しかった。完全に「アホな奴認定」されてしまったが、それでも誰かから関心を抱かれることに喜びを覚えた。

充電の切れかかったスマホで調べると、ホストクラブ『ナイトヘッド』は歩いて行ける距離だった。だがおっさんの風俗話に付き合い続けた竜光の体力は、スマホ同様に切れかかっていた。

「漫画喫茶で寝てから、ホストクラブ行こ」

 

「ああ~、あんまり眠られへんかった」

倒れるように漫画喫茶へ入店した竜光だったが、隣の部屋に後から入って来たカップルがイチャイチャからの性行為を始めた為、途中で目覚めてしまい、数時間しか眠れなかった。

「しかし、あれやな~。東京の女の子は喘ぎ声も色っぽいなぁ」

思い出しただけで、下半身がもっこりと屹立しそうになる。

昼過ぎまで漫画喫茶でゆっくりと過ごすことにした、竜光はホストクラブについて理解を深めるためホスト漫画『夜王』を数冊読んだ。夢中で『夜王』の世界にのめり込んでいるうちに、いつの間にか喘ぎ声も止んでいた。

身ひとつで上京してきた主人公が、ホストとして成長を遂げる熱きストーリー。今の自分と主人公が重なった。「俺もやっと人生という物語の主人公になれるのか」と思うと、心が湧き立った。

お笑い芸人の世界に飛び込んだのは「モテたい!」が第一目的だったものの、「主役になりたい」「中心になりたい」という強い願望があったのも確かだ。

学生時代を振り返っても、中心やカーストの上位に位置した記憶がない。常にすみっこの方で冴えない日々を送っていた。キャラの立ち位置でいると、完全なるモブキャラだったのだ。感化されやすい竜光にとって『夜王』は、読むだけでパワーがたぎってくるエナジードリンクみたいな漫画だった。「人生を逆転させるには、ホストで成功するしかない!」。今にも駆け出したくなるような高揚感に溢れている。

漫画喫茶のパソコンでリサーチしたところ、一ノ瀬翔が口にしていたホストクラブ『ナイトヘッド』の営業が始まるのは夜の8時から。『ナイトヘッド』は、NEW GENERATION GROUP、略してNGGが運営するホストクラブのひとつ。

ホームページを確認すると店舗ごとにカラーの違いがあった。『ナイトヘッド』のサイトには「お笑い芸人より面白いホスト大集合!」だった。

運営やスタッフ、同僚に元芸人というのをアピールすると良い印象を与えられるかもしれない。しかし、同時に不安もある。竜光は大阪で全くといっていいほど目が出なかった元芸人。ホストといえばしゃべりの達者なイメージがある。大阪出身というだけで、「何か面白いことできるんでしょ?」というフリをされる可能性があった。もしそこで、スベリ散らかそうもんなら早々に「こいつは使い物にならん」と廃棄物扱いされかねない。

「あかん、あかん。今から弱気になってどうするねん!」

首をブンブン横に振り、ネガティブな思考を強引に消した。腹が減っているから弱気になるんだと、ルームをしばし離れ受付近くの自販機でホットドックを買い、食べると落ち着いてきた。

「よっしゃ、出掛けるか」

漫画喫茶を出た竜光は、戦に挑むような気持ちになっていた。

 

『ナイトヘッド』への到着は夕方5時頃。歌舞伎町の星座館ビルの3Fに『ナイトヘッド』はあった。漫画喫茶のパソコンで調べて、ついさっき知ったのだが、ホストクラブというのは局地に集中しているらしい。歌舞伎町で営業しているホストクラブの数は、200~300店舗ほど。ひとつの建物に複数のホストクラブが入り営業しているのは、歌舞伎町ではよくある光景だ。。

星座館ビルも例外ではないようで、3F以外のフロアーにも別のホストクラブが営業しているようだ。到着してから勇気が出ず、竜光は一階のエレベーター付近のエントランスで佇んでしまった。

「あれ、お前は!?」

背後から声を掛けられた竜光が振り返ると、高級そうなブルーのスーツに身を包んだ一ノ瀬翔が、心底驚いた顔でこちらを見ていた。知っている顔の人間に会うだけで、これだけ安堵感があるのかと竜光は相好を崩す。

「翔さん、大阪のアパート引き払ってきました。俺ホストになりたいんです。」

「あちゃ~……」

一ノ瀬翔は、オールバックに整えた頭をぼりぼり掻いた。

「アホ相手に、ええ加減なこと言うもんやないわ」

バツが悪そうにもう一度「あちゃ~」と口にした。

「お前、あの時の俺の言葉、本気にしてしもたんやな」

「本気です! 女を抱きたいんです! 東京に女を抱きに来ました!」

竜光から目線を外した一ノ瀬翔は、ブツブツ小声でつぶやいている。

竜光が耳をそばだてると「口は禍の元。武士に二言なし。義を見てせざるは勇なきなり」と言っているのが聞こえたものの、言葉の意味は皆目分からなかった。

何かを決意したかのように、一ノ瀬翔は「よっしゃ!」と両手で己の頬をパンと叩いた。

「お前、名前なんやったけ?」

「井上竜光です」

「せや。竜光やったな。ちょっと近くの喫茶店行こか? 竜光」

踵を返し速足で歩き出した一ノ瀬翔の背中を、竜光は追いかけた。

 

喫煙OKの喫茶店で、竜光は一ノ瀬翔の正面に座っている。ホストとしての心得でも教えてもらえるのだろうか。胸の高鳴りが止まらない。

一ノ瀬翔は、財布を取り出すと一万円札3枚を取り出し、竜光に渡した。

「お小遣いですか?」

「ちゃう。帰りの交通費」

一ノ瀬翔は、いかにも面倒くさそうな顔をしていた。

「ちょっと、俺まだ歌舞伎町来たとこですよ」

「悪いことは言わん。大阪へ帰れ」

「待ってくださいよ。『本気やったら歌舞伎町来い!』言うたんは翔さんでしょ?」

「でもな、あの時、俺、漫画読んだ直後で妙に熱い気持ちになってたんや」

一ノ瀬翔は、コップの水をすすりながら「夜王が悪いんや」と繰り返した。

「え、翔さんも、夜王読んだんですか?」

「お前も読んだんか?」

「はい、さっき漫画喫茶で読んだところです!」

「それでテンション高いんやな。あの漫画すごいわ。読み終わった後、妙に熱いこと言いたくなってまう」

ある意味、ふたりがこうして歌舞伎町で話しているのは『夜王』の力によるものかもしれない。

「ほんでな。話戻すけど、お前やっぱり大阪戻った方がええで」

「戻りません。俺、ホストとして歌舞伎町で勝負したいんです!」

「ええか、竜光。俺は長年、業界の内側にいる人間やから言うたるけど、成功するのはほんの一握り。全体の一割以下。稼げるホストは、アホみたいに稼げるんは間違いない。歌舞伎町には一億円プレイヤーもおるからな」

「い、一億っスか!?」

鼻息が荒くなった竜光を見て、一ノ瀬翔は「はぁ」とため息をつく。

「でもな。その辺歩いてるサラリーマンより稼いでないホストかて、いっぱいおる。確率で言うたら、お前は多分成功せえへん」

竜光は、受け取った3万円を返した。

「このお金は受け取りません。俺は歌舞伎町に骨を埋めるつもりで来ました」

「骨なんか埋めんでええから、大阪帰れって」

「俺、大阪では全くモテへんかったんで、このままじゃ死ねへんのです。お願いです。俺たくさんモテてたくさん抱きたいんです!」

竜光は勢いよく頭を下げた。

「大声で何をぬかしとんねん。頭上げんかい」

「翔さんがええ言うてくれるまで、俺は絶対に頭は上げません」

パンッという音がしたかと思うと、甲高いよく通る声で「オメーら何、面白そうなこと話してんだよ」という声がした。「絶対に頭を上げません」という言葉を瞬時に撤回した竜光は、声の主を確認する。

浮世離れした男が一ノ瀬翔の肩に腕を回しながら、こちらを見ている。高身長でピンク色のスーツが似合っていた。竜光の目をじっと覗き込んだまま微動だにしない。品定めされているような気持ちになる。竜光は男性を直視できず、目を逸らした。

ピンクスーツの男性は、パンッと一ノ瀬翔の肩を叩いた。

「翔ちゃん、誰よ。コイツ?」

「大阪で知り合ったアホな男です。ホストなりたいって上京してきたんです。オーナーもなんとか言うてやってくださいよ」

「アホって最高じゃん。俺も混ぜてよ」

男性は、一ノ瀬翔の隣の椅子にドカッと腰掛けた。

「俺、こういうもんなんだわ。ヨロシク!」

差し出された名刺には、NEW GENERATION GROUPオーナー桑井竜征と書かれている。

「僕は井上竜光(いのうえたつみ)といいます。大阪出身の25歳です」

「タツミって名前、どんな漢字なの!?」

「竜田揚げの竜です。竜征の竜と同じ漢字です」

「何、竜田揚げって」

ククッと笑いを嚙み殺す。

「オメー、俺と同じ漢字が名前が入ってるってことは縁があるのかもな」

桑井を見て、どこを切り取っても目立つ男だと竜光は感じた。オーラのなせるわざか、桑井が店内の耳目を集めているのは明らかだった。そしてリッチな雰囲気が、そこはかとなく漂ってくる。渡された名刺の材質からして高そうだ。売れない若手芸人は、自分の名前を広めるため簡易の名刺を自分で作り、LINEのQRコードを入れて配ったりしていたが、紙はペラペラでいかにも安っぽかった。

成功すると、目の前にいる桑井のようになれるのだろうか? これだけ自身満々だと女性の方から寄ってくることも多いだろう。

竜光は口内の唾をごくりと飲み込んだ。

「く、桑井さん。いきなりですが、ひとつ聞いてもいいですか?」

「いいよ。何でも聞きな」

ニコっと笑った桑井には、愛嬌の塊と言いたくなるような可愛げがあった。

「今まで抱いた女は何人ですか?」

「へっ……!?」

きょとんとした顔が数秒で崩れて、ガハハハという大笑いが店内に鳴り響く。

哄笑し終わった後、桑井は「ダメだ、コイツ……腹イテーよ」と言いながら、一ノ瀬翔に笑い掛けた。

「翔ちゃん、さすがだな。コイツただのバカじゃなくてクソバカじゃん!」

「そうなですよ、オーナー。想定外のアホやったんで、大阪に強制送還しようとしてたんです」

「なんでよ!? 翔ちゃんオメー、NGGの魂忘れたの? うちはアレだよ。『丸くなるな、星になれ!』がモットーだよ」

「丸くなるな、星になれ!?」

思わず竜光は復唱してしまった。

「そう、最初から丸いヤツなんてさ。うちにはいらねーの。星って角ばってるでしょ? そういうトガリをどんどん大きくしていくのがうちのやり方。個性のないホストなんてポイッだよ。スターになれるヤツだけ集まってくれりゃOK。他の社会で爪弾きにされてるヤツほど、うちで輝けるからさ」

「僕は個性あんまりないんです……」

自信なさげに漏らした一言に対して、桑井はかぶせるように言った。

「あるよ! 竜光さ。オメー、自分のこと客観視するの苦手だろ?」

「そうかもしれません」

「初対面でオレに抱いた女の数、尋ねてきたのってオメーが初めてだよ。それだけ女にフォーカスしまくってるって証明ってことになる。異常だよ、その性欲。最高じゃん、その個性」

まっすぐ見つめられ褒められると、顔が紅潮してしまった。竜光には他者から褒められた経験がほとんどない。

「おい、男に顔赤められても嬉しくねえっつーの。翔ちゃん、こいつナイトヘッドで雇ってあげなよ」

「わかりました」

オーナーから言われると、さすがに断れないらしい。桑井の登場によって、竜光のホストデビューが決まった。

「桑井さん、僕、便所掃除でも何でもやりますんで!」

桑井の目が鋭く光る。

「古い!」

人差し指をピンと立て竜光の顔を指した。

「うちはそういう昭和の価値観でやってねーんだわ。新人はひたすらトイレ掃除やっとけなんて、悪しき風習だよ。野球やるなら水飲まずに坊主頭でうさぎ跳びしろって言ってるのと同じ」

返す言葉が見つからず、竜光が黙っていると、桑井が続けた。

「竜光さ。オメー今日から早速、ナイトヘッドで働けよ」

「きょ、今日から!? いいんですか?」

「ホストは習うより慣れろ。綺麗なお姉さんにたくさんしごいてもらえ」

「綺麗なお姉さんに……たくさん……しごいてもらえる」

生唾を飲んだ竜光の頭を、桑井がパコーンと叩いた。

「この性欲モンスターがっ! 俺の前で童貞イマジネーション、勝手に膨らますな!!」

「すみません」

「でもさ。オレ、オメーみたいな底抜けのバカ大好き。やるからには本気で打ち込めよ、竜光」

さっと伝票をとった桑井は、一ノ瀬翔に「しっかり育ててやってくれ」とだけ伝えて、入口のレジへと足早に消えて行った。

「竜光良かったな。オーナーはお前のことお気に入りみたいや」

「ありがとうございます」

「人の好き嫌い激しいんやけど、お前はハマったみたいやな」

怒涛の展開に頭がついていかなかったが、トップの人間に興味を持たれたのが嬉しかった。

「ほんなら、この後、ナイトヘッド行って、初接客と行くか」

「よろしくお願いします!」

竜光は、再び一ノ瀬翔に向かって頭を下げた。

(続く)

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