どもども。
歌舞伎町でホストクラブを経営するNGG(NEW GENERATION GROUP=ニュージェネレーショングループ)オーナーの桑田龍征です。
今回は、僕がどんな幼少期を過ごして、どうやってホストという仕事に出会ったのか──つまり人生の「原点」の話をしてみようと思います。
吹田の長屋からはじまった僕の人生

僕は大阪府吹田市で生まれました。
おばあちゃんの家が長屋で、本当に昔ながらの「風呂なし」の家。だから毎日銭湯に通っていました。
そのあと父の転勤で奈良へ、さらに神奈川県の横浜に移ります。関西にいたのは4歳くらいまでですね。
父は証券マン、母は歯科衛生士という家庭に育ち、三兄弟の長男としてしっかりしなければという気持ちが常にありました。
横浜での小学生時代は、本当に楽しかったです。日能研という塾に通い、中学受験にも挑戦。
このときの努力が、人生で最初の「成功体験」になりました。6年生の1年間で偏差値を15くらい上げて、なんとか合格。
「やればできるんだ」と実感できた瞬間でした。
國學院久我山で感じた“格差”と疲労
中学は第一志望の浅野中には届かず、第二志望の國學院大学久我山中学校に進学。
文武両道を掲げる進学校で、勉強もスポーツも頑張れという校風でした。
ただ、何しろ家から遠かった。ドアtoドアで1時間半から2時間。渋谷を経由して井の頭線で通う毎日でした。
次第に渋谷で友達と遊ぶようになり、通学の疲れも溜まり、勉強にも身が入らなくなっていきました。
さらに、私立の有名校だから周りはお金持ちばかり。
お小遣いもほとんどもらえず、服も買えない。
周囲のキラキラした世界にコンプレックスを感じながら、少しずつ「自分は違う」と心が離れていきました。
スロットで転落、渋谷でスカウト──ホストという天職に出会う

そのままエスカレーターで國學院大学に進学。
周りは外部受験で早慶やMARCHレベルの名門大学へ進む中、僕は“燃え尽き”たままでした。
大学に入ってからは完全にスロットにハマり、最初はビギナーズラックで勝ったものの、あっという間に転落。
友人10人に3万円ずつ借りて合計30万円、さらに学生ローンで50万円借りて、完全に行き詰まっていました。
そんなとき、渋谷の街でスカウトマンに声をかけられたんです。
正直、それまではホストにいいイメージなんてまったくありませんでした。
でもなぜかその日だけは、話を聞いてみようと思えた。
背水の陣だった僕は、友人に相談して「やってみろよ」と背中を押され、体験入店へ。
夜0時から朝方まで営業するホストクラブの世界。最初は戸惑いましたが、やってみたら、驚くほど楽しかったです。
男子校時代に鍛えられた“むちゃぶり対応力”や、大学サークルの飲み会芸が意外と通用したんです。
「よいっしょ〜!」なんてノリで場を盛り上げていたら、お客さんにウケて。
自分でも「これは天職かもしれない」と思いました。
入店2か月で100万円を売り上げ、借金を完済。
そこからは一気に上り詰め、最盛期には月2,000万円を売り上げるまでに。
24時間、どうやって自分をかっこよく見せるか。
そのことだけを考えて生きていた2年間でした。






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