どもども。
歌舞伎町でホストクラブを経営するNGG(NEW GENERATION GROUP=ニュージェネレーショングループ)オーナーの桑田龍征です。
前回は、僕がホストの世界に入り、そこから人生が大きく動き出した話をしました。
今回はその続き──22歳で起業した頃の話をしてみようと思います。
「この街で勝つには起業しかない」と気づいた22歳
僕がホストとして活動していた時期、グループの体制がどんどん変わっていきました。
たった2年の間に、10店舗から30店舗へと一気に拡大。
当時のオーナーは「独立しろ、独立しろ」と常に言っていて、僕はその言葉に強く影響を受けました。
そこで気づいたんです。
「この街では、起業することが“勝ち”なんだ」と。
当時から僕にはマーケティング思考があったので、「この街にいない人間になろう」と考えました。
「オンリーワンって何だろう?」と自問して、出した答えが──“現役大学生社長”。
大学に通いながらホストクラブを経営しているというだけで、人が集まるんじゃないか、と思いました。
実際、22歳で起業したときには、30人ほどのメンバーが集まりました。
「大学生社長」という肩書きが、僕にとって経営者として最初のブランディング成功でした。
プレーヤーから経営者へ。重圧とストレスとの戦い
しかし、経営者になってすぐに思い知りました。
プレーヤーとして結果を出すのと、組織を回すのとは全く別物だということを。
正直ストレスが半端じゃなかったです。
現役時代は61kgだった体重が、24歳のときには75kgまで増加。
今も僕は75kgですが、これは筋トレの成果での体重です。当時はただのストレス太りでした。
鏡を見て「きしょ…」と思った瞬間に、ダイエットを始めたんです。
そしてその最中に──前もブログに書いた国税がやってきました(笑)。
本当に、次から次へと波が押し寄せる時期でしたね。
“表で生きる”と決めた分かれ道
ホストクラブの代表として独立したとき、僕の前には2つの道がありました。
ひとつは、表の世界で正々堂々と戦う道。 もうひとつは、裏の世界で生きる道。
当時の歌舞伎町は、今よりずっと荒れていて、悪いことをしている先輩も多かった。
入れ墨が入った“そっち系”の人たちや、筋の通らない商売をしている連中もいました。
僕は「きしょい人間には、きしょい人間が集まる」と思っていたので、絶対にそっちには行かないと決めていました。
自分は日の目を浴びるほうがいい人間だ──そう信じていました。
でも、実際には怖いこともたくさんありました。
ある日、うちの従業員が“とんでもない相手”と関係を持ってしまったんです。
相手は、歌舞伎町で一番怖い親分の愛人。
そこから、電話が鳴り止まなくなりました。
元オーナーからも、伝説のママからも「龍征、今すぐ胸ポケットに100万詰めて来い」と。
事務所に行ったら、人がズラッと並んでいて、『龍が如く』そのままの世界。
僕はその場で土下座して、「本当に申し訳ございませんでした」と頭を下げました。
100万円を差し出したら、5万円だけ抜かれて「返すわ」と言われた。
“メンツの世界”では、お金じゃなく筋を通すことが大事なんだと知りました。
その1週間後、今度は親分のクラブに呼ばれ、白鳥の氷彫刻が出てくるような高級店で「楽しんでいけ」と言われたあと、しっかり100万円の会計(笑)。
正規のルートできちんとお金を支払わされたわけです。歌舞伎町の“教育”はいつだって高くつきます。
当時は中国マフィア「ドラゴン」なんてのもいて、実際に拉致事件もありました。
僕の先輩が本当に拉致されていて、「龍征、マジで気をつけろ」と言われていた時代。
命がけの世界で、どう生きるかを突きつけられました。
その日々の積み重ねが、今の僕の生き方の基礎になっているんです。