どもども、歌舞伎町でホストクラブを展開するNEW GENERATION GROUP(ニュージェネレーショングループ)オーナーの桑田龍征です。
今回は、高いレベルで仕事をするひとが陥りがちな「完璧主義の弊害」について書いてみます。
頑なな完璧主義者には仲間も同志もいなくなる
「この仕事はこんな形で進めたい」「自分はこうありたい」「世の中をこんなふうに変えたい」という理想を持つのはいいことです。
ただ、頑なにその理想から動かず、調整も妥協も一切しない完璧主義者には、誰も協力してくれなくなるし、同志もいなくなります。
そして完璧主義の人は「自分に厳しく、人に厳しく」生きている人が多いです。
本人としては「自分と同じレベルを周囲に求めているだけ」「自分はフェアな人間」と思っているかもしれませんが、周囲からは単なるエゴイストに思われていることが多いです。
また人に弱音を吐けず、自分の弱みも見せたがらないので、1人でパンクしがちなのも完璧主義者の特徴です。
もちろん「自分はそういう性格だから」と割り切って、基本的に1人で動く仕事をするのも一つの手でしょう。
でも、仲間を作って大きな仕事をしたいなら、その完璧主義をどこかで変えなければいけません。
「手段の完璧さ」に囚われて「目的の達成」を見失いがち
たとえば「待ち合わせには絶対に遅れてはいけない」と思っている完璧主義の人がいるとします。
でも、待ち合わせに2~3分遅れようが何しようが、現地に着いてからの頑張りで目的が達成できれば、仕事としては何の問題もありません。
待ち合わせに数分遅れたことで、結果のすべてが「失敗」と決まるような仕事は、実際ほとんどないでしょう。
でも完璧主義者には、待ち合わせに遅れたことでナーバスになった結果、肝心の仕事が上手くできなくなってしまう人がいます。
1人で勝手に「手段の完璧さ」とか「過程の完璧さ」に囚われて、それでナーバスになっても、何の意味もありません。
自分も周囲も疲れるだけですから。
理想を描いたうえで現実(リアル)と向き合う
大切なのは、理想を思い描いたうえで、現実(リアル)と向き合うことです。
そして、現実と理想のギャップがどの程度あるのかを把握して、自分が何をすべきか考えることです。
もちろん「ここでは完璧を目指そう」という部分があってもいいですが、ときには「この部分は諦めて受け入れよう」という判断も必要になってきます。
どんな人でも完璧に理想通りの自分にはなれませんし、完璧に理想通りの社会も作れないからです。
一方で、目の前の現実ばかりを見ていて、何の理想も抱かない人も僕は問題だと思います。
大切なのはやはりバランスです。
逃げ場を作り、弱みを見せると、逆に支持者が現れる
完璧主義者には逃げ場がありません。
一方で、完璧を目指しながらも、自分なりの逃げ場を作ったり、人に弱みを見せたりしながら生きることはできます。
そうやって理想を追い求めながらも、ときに失敗したり、逃げたり、弱音を吐いたりする人って、すごく人間的ですよね。
そういう人には支持者やファンが表れます。
「自分に都合のいい完璧主義」で全然OK
日々の暮らしでも「完璧な食事」「完璧な睡眠」を意識して生きていますが、決して完璧主義者ではありません。
「まあ疲れてるときは適当でいいか」とサボることも全然あります(笑)。
言ってしまえば「自分に都合のいい完璧主義」ですが、そのくらいの人間でいたほうが生きるのは楽になります。
あと、時にはサボったりズルしたりすることがあっても、毎日コツコツと努力を継続するのは大切です。
理想の自分に近づくには、とにかく努力を継続するしかないからです。
そして「今日はやる気が出ないな」と思ったときも、何から何までサボるのではなく、「それでもできることは何だろう?」「全部は無理だけど、ここまではやってみようかな」と考えて、その日にできる努力をすればいい。
完璧なルーティーンが一つ崩れたからといって、1日が終わりになるわけじゃありません。
そのほかの部分で、その日にできることをコツコツやればいいし、足りなかった部分やできなかった部分は翌日にリカバーすればいいんです。
完璧主義の人には、そうやって「帳尻を合わせる」という発想がないんでしょうね。
仮に小さな失敗をしたときも、できなかったことに目を向けるのではなく、反省することは反省しながら、さっさと気持ちを切り替えて次に向かえる人が成長をできます。
100点を目指して98点、97点を取ったあとで、力尽きて0点を取ってしまう人よりも、「まあ無理のないように頑張るか」と考えて、コンスタントに70~80点を取っている人が最後には勝ちます。
何から何まで完璧を目指して疲れている人は、ときには物事を自分に都合よく考えて、ラクに生きるすべを身につけるといいでしょう。