こんばんは。
歌舞伎町でホストクラブを経営するNGG(NEW GENERATION GROUP=ニュージェネレーショングループ)オーナーの桑田龍征です。
今回は9月15日に亡くなった岩井良明さんのことを書きます。
親世代の経営者で初めての「師匠」
亡くなった岩井さんに対する気持ちは、上のXに投稿したとおりです。
本当に4日間くらいは、身動きが取れないくらいショックでした。
僕に対しても、たくさんのご心配の声と、たくさんの励ましの声をいただきました。
声をかけてくださった皆さん、ありがとうございました。本当に助かりました。
お別れの会で仲間たちと一緒に悲しんで、今は少し落ち着いて、また前を向く気持ちになっています。
また今は、「岩井さんは自分の中でとても大きな存在だったんだな」と改めて感じてます。
岩井さんとは、令和元年からスタートした『令和の虎』で、毎月必ず顔合わせてきました。
僕自身は22歳で起業して、師匠と呼べる方を何人も持ってきましたが、その多くは2個上や3個上の先輩が中心でした。
岩井さんは、親世代の経営者としては初めての師匠と言える方です。
本当にかわいがっていただきましたし、指導もしていただきました。
岩井さんとは一緒に仕事をするなかで、いろいろな思い出を作ってきました。
『令和の虎』チャンネルを盛り上げるための会議も何度もしましたし、岩井さんの実家に押しかけたこともありました。
100万人突破記念でヒカルと一緒に『令和の虎』の生配信に突撃したこともありました。
それで岩井さんがブチ切れた後で、アンチコメントが大量に押し寄せたことも、今振り返ると1つの思い出です。
岩井さんは「主役として扱われたい人」だと思う
しかし、本当早すぎましたね。
みんな心の準備ができてなかったし、こうした事態がいざ起きた時に、やっぱり毎朝苦しかったです。
本当に「勝手に涙が出てくる」という状態でした。
「岩井さんはみんなが悲しむ姿を見たくないはずですよ」という意見ももらいましたし、僕もそう思う部分もあります。
でも本音の部分では、岩井さんは「みんなに泣いてほしい」と思っているんじゃないか……というのが僕の考えです。
僕から見ると、岩井さんは「主役として扱われたい人」なんです。
『令和の虎』の主宰をずーっとやっているだけでなく、自分で開催したイベントやオフ会でも、岩井さんは自分が司会をやるんですよ。
で、ずーっと自分で喋ってるんです。
終わりの言葉も、初めの言葉も自分です。
「いつ他の人が喋ればいいの?」みたいな会なんです。
そんな人いないですよ! 本当に。
岩井さんは、自分の人生を題材にした舞台までやっていますが、いちばんスポットライトを浴びる朗読のシーンでは、岩井さん本人が出てきちゃってました。
僕も見に行きましたけど、「結局お前が出るんかい!」って思いましたから。
岩井さんは、僕がやらないこと、僕ができないことをする人でもあったし、普通の人が進まない方向に進んじゃう人でした。
奇抜であり、奇妙であり、愛すべき変人でしたね。
『令和の虎』の面白さは岩井良明に集約されている
裏の話をすると、『令和の虎』は渋谷の雑居ビルのメチャクチャ狭い部屋での収録から始まりました。
そこから、撮影スタジオを提供してくれている竹内さんの会社のサンエイトも大きくなって、控室があるようなスペースで撮影ができるようになりました。
今でこそ虎の皆さんも充実した面々が揃うようになりましたが、始まった当初は違いました。
『令和の虎』が続いてきた大きな理由は、岩井さんが知人や身のまわりの人を経由して、華のある社長や、ちょっと頭のおかしな社長たちを見つけ出してきたからです。
毎月の収録も最初は8本だったと思いますが、それが12本に増えて、それでも5人の虎を毎回集めて、収録を回しきったのは本当すごいと思います。
途中では何人かの虎が抜けてしまったり、アンチが増えたりした時期もありましたが、岩井さんは相変わらずで、YouTubeでは本音でずっとブチ切れてました。
近くで見ている僕としては、「岩井さん、何でそんなことするんだろう? やめたほうがいいっすよ!」と思うことだらけでしたが、『令和の虎』の6年を振り返ると「あれで正解だったな」と思うことばかりです。
結局、『令和の虎』の面白さって岩井良明に集約されるんですよね。
岩井さんが旅立たれた今、残された僕たちには、『令和の虎』をしっかり盛り上げていく責任があると思っています。
僕らも頑張りますので、『令和の虎』チャンネルを引き続きよろしくお願いします!