女の子と話せない悔しさと反骨心が帝王ROLANDを作り出した
参考サイト:https://bunshun.jp/articles/-/42192
コラムニストの河崎環さんが週刊文春で、ROLAND(ローランド)に対して行ったインタビューが「こんな過去があったとは知らなかった!」と好評です。
今回は、帝王が女の子とまともに話せなかったホストを始めて間もなかった頃の話題などについてお伝えします。
貴公子のようなROLANDがトイレ掃除をしていた頃
ホストの世界は実力の世界。お店を支えているのは一部のトップホストで、その他有象無象のホストは売上に貢献していない現実があります。
当然、1,000万プレイヤーなど大きなお金を生み出すホストほど優遇されるもの。
ROLANDがトイレ掃除をしていたと聞けば「信じられない!」と口にする人がいるかもしれません。
しかしこれは本人が語った事実で、雑務をこなしながら「今に見てろよ!」といった反骨心をエネルギーに変えていったのでした。
サッカー時のような挫折をもう繰り返したくない!
ROLANDにとって帝京高校でサッカーに打ち込んだものの、プロに進めなかった経験はかなり大きかったといいます。
かつては「お前、天才だな!」「絶対、Jリーグで活躍できるよ」などと絶賛されたサッカー少年も、上には上がいるという容赦のない現実を知らされ、道半ばでアスリートとしてのキャリアに終止符を打ちました。
常に気高く前向きに生きるROLANDですが、サッカーを辞めた直後はかなり落ち込んだといいます。
売れないホストは扱いも悪く、「もうこの世界から足を洗おうかな」と辞めていくものが後を絶ちません。
それでも彼がホスト道を進み続けたのは、「またここで諦めるのか……」という気持ちがあったからなのでした。
読書により知識を蓄える日々
サッカー一筋で生きてきた若者からすれば、世間で流行っているものや何が人の心を動かすのかに無頓着だった面もあるでしょう。
危機感を覚えた若きROLANDは、古本屋へ行き自己啓発本からファッション、カルチャーにいたるまで猛勉強を重ねたといいます。
もちろんその頃のROLANDは、まだ売れていなかった為、財布に余裕はありませんでした。
それでも「投資しなければ自分はずっとこのままだぞ!」という切迫した思いがあったのでしょう。
まだナンバー入りを果たせていなかったタイミングでも「伝説のホストになります」とあえて発言していた帝王。
今でこそ有言実行のイメージがある彼ですが、その頃、一緒に働いていたホストからすると「は?何言ってんのこの新人は……」といったものだったのは想像に難くありません。
そして伝説の幕開け!月間6,000万円を売り上げるホストに
ホストの世界は、1,000万を記録できるようになると「1,000万プレイヤー」と称されるようになり、一流ホストの仲間入りができます。
たまたまその月だけ調子が良くて、一時的に1,000万プレイヤーになるホストもいれば、コンスタントにそれ以上の金額を稼ぎ出すホストも存在。
20歳で代表取締役に就任したROLNADは、破竹の勢いで何と月間6,000万円の売上を記録する、稀有なホストに成長。この売上金額は、勤務していた店舗での個人売上最高額だったそうです。
もうこうなると、彼の勢いはどんどん加速していくばかりでした。
帝京高校の同級生DeNA山﨑康晃との絆
帝京高校は、たくさんのアスリートが集う学校として有名。ROLNADの同級生に現在DeNAで活躍する山﨑康晃選手がいます。
実は今でも2人は親交があり、お互いに刺激を与えあえる存在なのだとか。
山崎選手も高校時代は辛い思いをたくさんしていたようで、決して順調にレールを進んでいったのではなく、紆余曲折を経てプロ野球選手になった人物。
若き日の2人は「いつか(成功者やスター選手)を見返してやりたいよな!」と誓い合ったそうです。
華麗なイメージのある帝王ですが、天才というより泥臭い努力を続けてきた積み上げ型タイプでした。
「あの頃はまだ劣等感が今より強かった」と振り返る成人式の頃は、財布に100万円を入れて派手な白いスーツで同級生の前に現れたROLAND。
称賛を浴び羨望の目で見つめられ、自己肯定感を何とか上げることができたといいます。「恥ずかしいから、やめとけよ、お前」と、張り切って成人式に参加した過去の自分に声をかけたいという帝王ですが、その時はそうせざるをえなかった気持ちがあったのでしょう。
ただならぬ言葉へのこだわりが今の帝王を形成
ROLANDといえば、名言で全国区になった印象が強いのではないでしょうか。
テレビ番組に招かれることも多いROLANDですが、メディアへ出続けることに対しては強い興味やこだわりはないと断言。
「大した人間じゃない」と自嘲する帝王ですが、彼の中でこだわり続けているものがあります。それは言葉。
言葉を突き詰め続けたからこそ「俺か。俺以外か」という、分かりやすくも心に突き刺さるワードが生まれたのでしょう。
帝王の根底にある考え。それは「天才は短い言葉で人の心を掴める」というもの。これからも彼の口から、別の名言がどんどん生み出されていくかもしれません。
天才に劣等感を抱き続けもがき続け、栄光を手にした帝王の半生をコミカライズした『ローランド・ゼロ』。
こちらを読むことで、彼が感じた悔しさと喜びを臨場感を覚えつつ楽しめることでしょう。
『ローランド・ゼロ』は、2020年12月18日に宝島社より発売されています。監修を務めるのは『夜王』の漫画家である井上紀良さん。
井上さんによる帝王の描き方を確認したい方は、ぜひ『ローランド・ゼロ』を手に取って、読み込んでみてくださいね。
産経新聞の飯嶋記者が目の当たりにしたコロナ禍と歌舞伎町
参考サイト:https://www.sankei.com/life/news/201227/lif2012270032-n1.html
何かとよく話題に上がる街といえば、新宿の歌舞伎町。2020年の歌舞伎町はこれまでにない取り上げられ方をしました。
ジャーナリストたちも、歌舞伎町の現状を確認すべく積極的に現地へ足を運びました。
今回は産経新聞の飯嶋彩希から見た、コロナ禍の歌舞伎町がどういったものであったのかをお伝えしていきましょう。
2020年7月に始まった取材
小池都知事から「夜の街」と連日、否定的なニュアンスを含む発言をされることになった歌舞伎町。
特に自粛要請が出た3月末から4月にかけては、犯罪者の集団が集結しているような、極めて排他的な論調で語られることが多かったのは間違いありません。
飯嶋記者は2020年7月から何度も歌舞伎町へ足を運び、生の声を聴き出しました。フォーカスしたのは歌舞伎町で店舗経営をしている人達。合計20名を超える経営者は、飯嶋記者に一体何を語ったのでしょうか?
報道への不信感…本音を聞き出すために時間がかかった
飯嶋記者はたくさんの人から話を聞き出したかったのですが、連日、憤激するような報道をされていた歌舞伎町の住人からすると「ジャーナリストなんか信頼できない」というのが本音だったようです。
それでも飯嶋記者が続けた熱心な姿勢によって、何とか生の声を取材することに成功しました。
自粛を決めたお店に対して給付金が支給されたものの、店舗経営している側からすると「売上の減少を穴埋めする程度の額でしかなかった」といいます。
お店を経営するには当然ながら維持費がかかります。資金がなくなり、家賃を払うためにしかたなく夜間の営業をしていた人達も歌舞伎町には少なくありませんでした。
「新宿の灯を守る会」の熱き想い
「夜の街」は、単なるストレス解消しようと集う歓楽の場所ではありません。
先人から受け継いだ歌舞伎町の文化を後世に継承すべく立ち上げられた「新宿の灯を守る会」。彼らにとって夜の街は、存続すべき文化という捉え方になります。
歌舞伎町ビギナーからすると、歌舞伎町に対してとっつきにくいというイメージを抱くことがあるかもしれません。
しかし歌舞伎町には歌舞伎町のルールや作法が存在し、関係性が浅いのに立ち入ったことは尋ねないなどの不文律があるのです。
過去に色々あり生きづらさを覚えてきた人からすると、そういった距離感こそが歌舞伎町の心地よさであり、安心を与えてくれる場所として確立されています。
実際、歌舞伎町住人が心底感じていることは、飯嶋記者のように深く取材しなければ、我々のもとにも届かなかったでしょう。
先入観によって特定の街をガス抜きの対象として叩き続けても、誰ひとり幸せになっていないという事実があります。
攻撃する前に、その場所について理解を深めることが大切ではないでしょうか?