57歳で逝去した宅八郎は元ホストだった!?
参考サイト:https://www.asagei.com/excerpt/164755
いかにもオタクという風貌で、一時期テレビ番組の出演が多くオタクの象徴的存在だった宅八郎さん。彼が2020年の8月、すでに亡くなっていたことが明らかになりました。
オタクとホストは、あまり関連性が高いとは思えないですよね?
実は宅八郎さん、ホストプレイヤーとして歌舞伎町で働いていた時期がありました。
宅八郎さんの意外なキャリアについてお伝えします。
2004年にホストへ華麗なる変身を遂げた宅八郎
宅八郎さんといえば、オタキングこと岡田斗司夫さんと肩を並べるほど、オタクの象徴的存在。サブカルにも造詣が深く、アングラ雑誌へ独特の文章を寄稿するなど、長年オタク行動を続けてきました。
しかし2004年に宅八郎さんが、あっと驚く転身をして見せます。日本で一番、ホストクラブが多い街である歌舞伎町で、ホストとして働くことを決めました。
見た目とは裏腹に、かなり聡明で空気もしっかり読める宅八郎さん。知名度があったことも影響して、彼が勤務していた歌舞伎町の『club G』人気のあるホストとして活躍したといわれています。
ホストは若くて体力のある人の方が圧倒的に有利な職業。連日お酒を飲むため、肝臓を壊してフェイドアウトしていく人が後を絶ちません。
宅八郎さんもすでに四十路を過ぎていたこともあり、体力が続かなかったようです。体調不良でホストを辞めました。
客観的に見ても、四十路過ぎのおじさんが若きホストが切磋琢磨する土地である歌舞伎町で、2年間も戦いぬいたことは、かなりすごいといえるでしょう。
実はナイーブだった宅八郎
宅八郎さんは、ぶっ飛んだ挙動が多かったものの、そのほとんどはファンサービスの演出だったのではないかといわれています。
宅さんと親しくしていた人は「実際の彼って、かなり内向的でナイーブな性格だったんですよ」と、証言。
世間のニーズをしっかりとキャッチして、あえて「何あれ!?超キモいんだけど…」といわれるほどのインパクトを残すことに成功した宅八郎さん。
テレビという最大規模のショービズワールドで世に出た彼にとって、お客さんの気持ちをしっかりと掴み、コミュニケーションを深めていくホストという仕事は、フィットした面があったのかもしれません。
不世出のオタクである宅八郎さんのご冥福をお祈りいたします。
ローランドの『THE CLUB』閉店後真っ先に連絡したのはあの有名人だった!
参考サイト:https://www.crank-in.net/news/84172/1
ローランド(ROLAND)といえば唯一無二の孤高な存在。オリジナリティーあふれるキャラクターは、他の人間を持ってきても変わりがききそうにありません。
そんな帝王が公私ともに親しくしている、芸能界の兄貴分といえばガクト(GACKT)。
新型コロナウイルスの影響で、自身が経営者を務めていた『THE CLUB』の閉店を早いタイミングで決めたローランドに、実はガクトが連絡していたというのです。
今回は、大物2人の絆について解説していきましょう。
『G&R』は2人の頭文字をとったブランド
芸能界広しといえど、ローランドとガクトほどストイックな人達はいないかもしれません。
彼らが長期に渡り、兄弟分のような関係を続けられているのは、きっとお互いに「すごい人間だ!」というリスペクトがあるからでしょう。
2020年12月16日、東京都内で『G&R』というブランドの立ち上げを発表。
マスコミの前で、これまで知られていないエピソードを話しました。
ちなみに『G&R』はガクトとローランドのイニシャルの頭文字をとったものです。
『G&R』のコンセプトは「女性を一流にする」。一流を知り尽くした2人だからこそできるアプローチですね。
ローランドを弟のように慕うガクト
帝王と最初に会ったとき「面白いやつ」という印象を受けたというガクト。
持前のサービス精神を発揮したローランドに対して、心を鷲掴みにされたガクトは男性相手にもかかわらず「別れるのがもどかしい」と感じたと告白。
弟分が兄貴分を慕うのは普通ですが、彼らの場合、関係性が逆転しているご様子。「弟のように僕が彼を慕っています」とカミングアウトしたガクトでした。
『THE CLUB』の閉店直後に電話を入れたガクト
ローランドが全ての力を注ぎ込んだホストクラブ『THE CLUB』。自身が現役のキャストを退き、経営者に回ったあと作ったお店だったので、気合の入り方は尋常ではなかったはず。
250を超える店舗があると噂される新宿歌舞伎町の中で、一際強い煌めきを放つはずだった『THE CLUB』ですが、新型コロナウイルスの蔓延により閉鎖を余儀なくされました。
そのとき、いの一番に連絡を入れたのが兄貴ガクトだったのです。
帝王のことを心配したガクトは、「大丈夫か?」と弟分を気遣ったのだとか。
ガクトはある意味でローランド以上に禁欲的で自他に厳しいイメージがあります。しかし身近で兄貴の優しさに触れる機会が多いローランドは「メディアだけを見ると厳しい印象の方なのかも?」と前置きをした上で「温かみだったり、人情だったり、そういうところも含めて本当に頼りがいがある」と口にし「兄であり父でもあるのかな」と言葉を結びました。
withコロナの時代は、水商売にとって逆風なのは間違いありません。しかし逆境に立てば立つほど、内側から燃えてくる帝王が、このまま引き下がるとは思えないにも確か。
また新型コロナウイルスが落ち着いたタイミングで『THE CLUB』を復活させ、我々を驚かせてくれる日が来るのを待ちましょう!
徹子の部屋で激白!あのローランドも下積み時代は給料7万円
参考サイト:https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2020/12/18/kiji/20201218s00041000386000c.html
帝王ローランド(ROLAND)に対して、みなさんが持っているイメージといえばスーパーリッチ。
新型コロナウイルスで、自宅に引きこもることを余儀なくされた春頃には、彼が持つ公式YouTubeチャンネル『THE ROLAND SHOW』の中で惜しげもなく披露した自宅は、豪華という一言では語りつくせないほど超ゴージャスでした。
今でこそ誰もがうらやむようなセレブ生活を続けている帝王。実は下積み時代、涙なくして語れない貧乏生活を送っていたというのです。
黒柳徹子さんの長寿番組『徹子の部屋』の中で、ローランドが語った内容をもとにお伝えしていきましょう。
ホスト転身後は、ほとんど稼げなかった帝王
プロサッカー選手を目指すものの挫折した帝王はホストに転身。そのまま一気にスターダムへと昇り詰めるかに思えましたが、ホスト転身後に苦杯をなめていたとは、今の彼を知る人からしたら信じられないはず。
女性だけではなく男性までもがほれぼれするローランドですが、実は当時女性との会話が苦手だったということも、最近カミングアウトしています。
ホストクラブはピンキリの世界。トップレベルになれば、一か月で1千万円以上の売り上げをコンスタントに出す人がいる反面、10万円以下しか稼げないというバイトとなんら変わらない給料のホストも存在……。
実はホストに転身後のローランドは、校舎のホストだったというのだから驚き!
当時住んでいたアパートは6万3千円で、そのときの給料が7万円。差し引きの7千円でどのようにして、生活をしていたのか気になるところですね。
セレブの代表格ローランドの苦労話に、司会の黒柳さんも「笑ってはいけないけど、大変ねえ!」と思わず吹き出しました。
パンのにおいだけで空腹を紛らす生活が1年続いたローランド
古典落語に『始末の極意』という演目があります。上方(関西)で演じられることが多い落語なのですが、この中でケチなキャラクターが登場し、うなぎ屋から流れてくる、うなぎのかば焼きのにおいをクンクンしながら、ごはんを食べる画面があるのです。
実はこれと、ほとんど変わらない行動をあのローランドがとっていたというのです!
パンの仕込みは早い時間と相場が決まっているもの。当時、彼が住んでいたアパートの近くにあったパン屋は午前9時頃になると、お店の中からパンのにおいを漂わせると知っていた帝王。
あまりにも空腹だった彼は、AM9時頃になるとパン屋の前へ行き、香ばしいパンのにおいのみを嗅いで、パンを食べた気になっていたそうです。
そういったひもじい暮らしが1年続き、その後、ようやくサクセスストーリーが始まりました。
どんな成功者でも、最初から一気に階段を駆け上がるよりは、挫折や上手くいかない経験をしたあと、試行錯誤を重ねて成功していくというのがほとんど。
過去のこういったエピソードを、笑い話のように話せるのは、今の彼が当時よりも器の大きい魅力的な人間になったからに他なりません。
まだまだ過去の知られざる話をしてくれそうな気配のあるローランド。
人は成功談よりも失敗談に、より強い関心を抱きます。
今後の帝王が、下積み時代も含めてどんな話をしてくれるのか楽しみですね!