かつての城咲伝説をプレイバック!城咲仁はホストとして発想が違っていた
かつてはホストとして5年間トップを走り続けていた城咲仁さん。彼がホストプレイヤー時代にやっていたことは、他の業種にも活用できそうなことばかり。ざっと挙げると城咲仁さんは次のエピソードを残しています。
まず最初の涙ぐましい努力から。誰でもいきなりスターだったわけではありません。
城咲仁さんは歌舞伎町でホストとして働き始めることになってから、毎日知らない人にひたすら名刺を配り続けたのだとか。街を歩いている人相手だけでなく、電車で同じ車両に乗ってきた人にいきなり声をかけ名刺を渡すことも。
このようにハングリー精神を原動力に城咲仁さんが動き続けた結果、名刺を渡した人が顔を覚えてくれることになりました。そしてそれが指名につながりました。まさにたゆまぬ努力を続けた結果、カリスマホストの地位を獲得したのです。
城咲仁さんのすごいところは、「売れっ子になったからこそ、反対に雑用を全力でやろう!」と決めたこと。
ホストは売れてくると、ヘルプで別のホストが補助的な仕事をやってくれます。しかし城咲仁さんは彼らに仕事をやらさず、全て自分で請け負いました。例えばホストクラブではウーロンハイが最も安いクラスのお酒で、トップのホストが作ることはほとんどありません。しかし城咲仁さんの発想は正反対。
「ナンバーワンになったホストが作るウーロンハイに価値が出る」と考えたのです。城咲仁さんの思惑は当たり、ウーロンハイを作ったり、灰皿交換を率先してやる姿を見た顧客から「トップになっても姿勢が変わらない城咲くんて素敵!」と評価がアップしました。
最後の後輩にプレゼントした話にも触れましょう。後輩に贈ったのは、空の財布じゃありません。
中にはぎっしりと万札が入った財布。城咲仁さんによると、ルイ・ヴィトンの財布にはピン札で180万円、エルメスの財布は170万円入るそうです。それをいともさり気なく後輩に「あげるよ」と手渡していた話が今でも語り継がれています。
彼のように一流のホストは、何をすれば自分のプラスになるかというセルフプロデュース能力に長けています。探せばさらに城咲仁伝説はまだまだ出てくることでしょう。いずれもスケールの大きな話ばかりなのが、城咲仁さんらしいですね。